Twitterでは言いづらいことを書く〜リプライ欄で見るあの人たち〜
反対意見の剣で台風に切り掛かる意味
Twitterでよく見る光景。
バズってるツイートに対して否定を入れるリプライ。
否定そのものは悪くないのだけど、それをわざわざその意見に賛同する群れの中で反対意見を出しているのを見ると何だかなぁと思う。
意見なんてのは人それぞれで、主流とされる意見に自分が合わないと思う時もある。
でもなぜそれをわざわざ主流としてるコミュニティの中で言ってしまうのか。
RTした先で空リプで意見するでもなく、鍵アカで云々書き連ねるでもなく、相手の陣地の中で暴れ回るような行為をなぜしてしまうのか。
そもそもなんでバズツイートにリプライなんてリスクを負いたがるのでしょうね。
私はTwitterでリプライという機能を使ったことがあまりないです。
私はリプライを「ツイートに関連する人たちの衆目の元に晒されるかなり重めの行為」として捉えている。
例えばTLに出回っている数万RTのツイートにリプライをしたとする。
すると、その発言はRTされるたびにより多くのアカウントが目にする機会が出てしまう。
もちろんRTするのはRTしたいと思うそれに類する人々だし、類する人々のフォロワーが見ていくことになる。
そうやって人々が集まる場所にそぐわないコメントを残してしまったら、良い返事をできなかった時にお寒い空気にさせてしまうにではないか、だっさいなぁと思われるのではないかなどと、リプライに対しての「リスク」を考えてしまう。
私にとっての「リスク」とは、つまるところ「好意的ではない見方をされる」ことである。
不特定多数に見られる特性上、好意的に思われない可能性について常に考えてしまうため、リプライという行動そのものが危険な行為だと考えてしまう。
そうなるとツイートをおこうなうこと自体リスクではとか思ってしまうが、そこは自身発信とでっけえものからの発信との差。
ある程度見られる範囲が限定されていることが把握できている中での発言と、誰に見られるかが把握できないバズツイートへのリプライでは反対意見をぶつけられるリスクのデカさが違う。
だから私は、リプライという機能は本当に身内みたいな範囲でしか使えないのだろうなぁと考えている。
そういう私だからそう思ってしまう。
すでに大きな台風のようになっているバズ意見の輪にわざわざ反対意見の剣を携えて切り掛かる人間の意図が分からないと。
なぜ自傷するような行為をやってしまうのか。やってしまえるのか。
理解はできないけど想像はすることはできます。
私の中で思いついたものが何個かあるので挙げてみる。
一つは「そういうことを気にするタイプではない」から
別に自分以外の人間から何を言われようが自分は自分。
好きだから「好き」と返すし、嫌なら「嫌」と返す。
それが自分の我を通す生き方!周り気にしてちゃ生き苦しいよ!
一つは「対立構造を作りたい」から
争う姿を見せてほしい!
自分という先駆けに続け同志諸君!
なんだかんだ賛成できないだろ?だったらここに追加でリプをつけるといい!
賛成派と反対派に分かれて、殴り合おうぜ!
不毛で醜い罵り合いこそ我が主戦場よ!
一つは「匿名性故にげりゃいいと思ってる」から
この意見に批判したい。でもこのアカウントを汚したくはない。
よし、じゃあ批判するためのアカウントを作って、そこから爆撃をしよう。
自分の意見に怒り狂われても捨て垢だし気にしない気にしない。
どんなに嫌われても所詮はネットを隔てた他人ども。
何を言われても馬耳東風。空っぽのアカウントに泣かされればいいのさ。
こんな感じでしょうか。
私には絶対に取り込むことのできない主義主張です。
ネットは基本社会と同じと考えているので、許可なく他人を巻き込んで突飛なことはしてはいけないという気持ちがどうしても入ってしまいます。
やるなら自分だけの範囲で。
発信も自身からのみで。誰かの何かにひっついて勝手に発信はしない方が最終的にはプラスになると考えています。
誰かの何かにひっついて周りの話をするとかなり別の、「私的ダサさのライン」の話になりそうなので今日はここまで。